自分がオランダにフィジオを学びに来ることになった理由
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皆さん、こんにちは。たなかです!
今更ですが、1月末よりオランダに留学することになりました。
というより、すでにもうオランダに住んで留学しています。
大学を卒業した後の選択肢は、就職か院進学の2つがいわゆるところの一般的な道のりだとはおもうのですが、
自分はその例を大幅に外れて、オランダの高等職業専門学校という分類の学校に留学して、フィジオセラピストという日本の理学療法士にあたる資格を取りに行くことにしました。
一応、自分が卒業した大学は関西ではよく知られている大学で、就職先も贅沢しなければある程度はまとまった給料が得られるであろう所がみつかるでしょう。
という感じではあったんです。
でも、そういった一般的な進路ではなく天真爛漫とも言える選択肢を取った訳です。
今回は、なぜオランダに行くことにしたのかというより、なぜ人と違う選択肢を取ることになったのかという性格的な部分について話していきます。
- この世の中では生きて行けないと決めつけた高2
- 親に反対されて余計に火がつく天邪鬼
- なんか、諦めがつけられないサッカー
- もう一つの側面、俺は割と変人である。
- と言う訳で、こう言う人生を選ぶことになりました。
この世の中では生きて行けないと決めつけた高2
将来のことを考えはじめたのは高2の頃でした。
高2の頃に将来のこと考えるなんてすごいね。って言われることがこれまで2回ほどあったのですが、高2のガキがそんな凄い真面目なことを考えていたわけではなくて、
「今、16歳で小学校から数えて学生生活は10年間な訳だ。」
「人間は40年間ちょいも働くらしいぞ」
「それは俺には無理だから、なんとか楽しいと思えることを仕事にしよう」
考えたのはこれだけです。
これは、高校生なら誰もが一瞬は考えることだと思うんです。
「一生、学生がいいわー。」
高校生なら3回は言うこの言葉を本気で実現しようとしたのが、
そう、この自分です。
けど、これを本気で思ってしまったことが自分の人生を良い意味で狂わせ始める結果となった訳でっす。
親に反対されて余計に火がつく天邪鬼
楽しいことを仕事にしようと思って、最初に思いついたのはサッカーの監督でした。
自分はサッカーをやっていたのですが、やはり高校生といえば自分の限界が見えてくる年頃です。
そんな時、サッカー少年なら一度はやってみたいと思ったり思わなかったりする職業が「監督」です。
自分は、サッカーの監督になるためにはどうしたら良いのだろうと思って、
その頃のGoogleのCMに習って、
「サッカー 監督 なるには」
と検索した訳です。
そしたら、とあるサッカーの専門大学が見つかって、
これは面白そうだと思って、早速、親に相談した訳でわなく、資料を取り寄せました。
これは、突然口で、
「俺、サッカーの専門大学行こうと思うんだ。」
って言ったら、
「お前舐めてんのか。」
と、父が返してくるのは目に見えていたので、高校生なりにちゃんと調べてるんだぞアピールをするために、HPでPDFのパンフレットがダウンロード出来るこのご時世に、あえて資料を取り寄せた訳です。
期待して自分宛に送られてきた資料をおもむろに食卓で広げて読んでみた結果、父の返しはどうなったか、
「お前舐めてんのか。」
いや、住所とか電話番号とか打ったあげく、長々とアンケートまで答えさせられたあの時間を返せよ。
と言うわけで、作戦が失敗したわけですが、
色々と将来のために考えて作戦を練ったのに(考える方向が違う訳ですが。)、その努力に全くの配慮を見せなかった自分の父に、自分持ち前の天邪鬼が発動し、
「だったら、世の中舐めて渡り歩いてやろうじゃないか。」
となったわけです。
なんか、諦めがつけられないサッカー
どう、世の中を自分の楽しいと思うことをしながら、舐めて渡り歩いてやろうかと考えた時に、やっぱりサッカー関係の仕事をしたいと思いました。
というのも、サッカーにどうも諦めがつかなかったんですよね。
普通は、高校サッカーで自分の限界を感じてサッカーを辞めるか、大学でまだ真剣にサッカーを続けるかだと思うんです。
なんですけど、中途半端な高校で得点王かつアシスト王という感じであってしまったがために、サッカーで大挫折がないまま、井の中の蛙がゲロゲロと偉そうにしている状態だったんですね。
けど、世の中は情報社会です。井の中の蛙なのは分かっている訳です。
そうなると、諦めがつかないんですよね。
高校サッカーの周りのチームメイトと監督の雰囲気的に、「これは勝てねーやつだぞ。」とは、思っていたりしていた結果、大方予想通りにベスト16という結果だったので、
試合直後はさすがに泣いたものの、家に帰ってふと振り返ると
「まーけど、チーム全体としてやってきたこと相応の結果だし、個人的にもこれ以上できたと思うことあんまないから、このチームじゃもう一回やっても無理なやつだ。」
とりました。
じゃあ、そうなると次考えることは、
「自分よりレベル高いチームでやったら、もっと上手くいくんじゃね?」
となります。
普通の人は、諦めきれなくても諦めるように考えるものなのですが、自分の場合はこのように、諦められなければ、諦められません。
とうわけで部分的に、選手としてのサッカーは諦めたものの、人生としてのサッカーは諦められず、サッカー関係の仕事につくことを決意しました。
もう一つの側面、俺は割と変人である。
ここまでの流れとしては、
- 40年間、俺は普通に働けない
- 天邪鬼を発揮した結果、世の中を舐めることを決意
- サッカーが諦めきれない結果、諦めないことを決意
- サッカーを仕事にすることを決意
という流れです。
なんですが、自分もさすがに単純おバカではないので、色々とGoogle先生をはじめ色んな人に話を聞いていく中で、
40年間も世の中を舐めて渡り歩くのは普通に無理ゲーである現実には何度もぶち当たりました。
普通の人生を歩むことが、最も確実で、楽で、効率的なことに気づくチャンスは幾度となくありました。
けど、それが自分にベストな選択肢だとは思わなかったんです。
というのも、自分はどうやら他の人と感じ方と考え方が違う天才変人らしいんです。
いろんなタイプの変人がいるとは思うのですが、自分は
- 人に合わすとは自分の個性を潰すこと。
- 自分の考えは容赦なく提出する。
- そして、自分の意見は納得できる何かがないと変えられない。
- 非効率的なことに苛立ちを隠せない、というか隠さない。
- 同じことを繰り返すとか無理。前進あるのみ。(多動症)
- そのくせ、ミスが半端なく多い。
- そして、人の意見は聞けない。
- 基本は全く集中できないけど、興味があることには驚異的な集中力を発揮する。
という感じの変人です。
皆さん、お気づきかと思いますが、
会社で一緒に仕事をしたくない人の要素がてんこ盛りだし、自分としてもサラリーマンは向いてる仕事とは到底思えないんです。
というより、根本的に日本社会に向いてないと思う訳です。
日本人の特徴はなんでしょうか。
- 協調性がある
- 人の言うことを忠実に聞ける
- 確実でミスが少ない
とかですかね。
他にも色々な日本人の特徴があると思いますが、かろうじて自分が持っている日本人の特徴は背の低さぐらいなものです。
そりゃ、オランダに来て2週目にして慣れるどころか居心地の良さを感じる訳ですよ。
オランダ人は世界一背が高いのというのが、逆に何かの隠喩のようです。
まぁ、これが隠喩かどうかについては諸説ありますが、
こう言う理由で紆余曲折の結果、オランダにフィジオセラピストの勉強をしに行くことになりました。
と言う訳で、こう言う人生を選ぶことになりました。
どうでしょうか。
オランダに留学しに行くんです。というと、
「そりゃすごいね。」
と言って貰えることがちょくちょくあります。それは、とれもうれしいのですが、自分としては日本社会からの逃亡という感じのテンションです。
なんですが、この人生のチョイスで大事だったのは、
「自分が一番頑張れて、活きるところはどこか。」
ということです。
最後の最後までつらつら書いたこの自伝を最後まで読んで頂いた方にはこう自分なりのアドバイスをしたいです。
「普通はただの平均点」
テスト5教科とか10教科の合計が平均点ぐらいの人は結構います。ていうかそれが平均というものです。けど、全教科が平均点の人はそんなにいないじゃないですか。
これを人に当てはめるなら、
総合的に見れば普通の人はたくさんいます。ですが、すべての特徴が普通の人は、テストと同じくかなり少ないはずです。
ただ、何が普通じゃないかを無視してるだけ。
ただ、そこを無視すると普通とのギャップに後々は苦しむんじゃないかなと思う訳です。
という訳で自分は、自分の普通とのギャップが苦にならないようにした結果、
今、オランダにフィジオセラピーを習いに来ているという訳です。
突然でしたが、人生について語ってみたくなったので、語ってみました。
それでは!