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オランダでフィジオを学ぶ学生の、見て、感じて、思ったこと。

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人間が認知能力で生物界最強って誰が決めたんだ。

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人間とはどういう生き物なのか。
 
人間は、人間と他の生き物を別の次元で生きてる存在と格別化しようとするが、
本当にそうなのだろうか。
 
人間は発達した前頭葉によって、他の生物に追随を許さない高度の認知機能を有する。
と人間たちは確信している。
だが、決して人間が生物界最大の脳の大きさを誇っているわけではない。
 
人間の脳は約1.2-1.5kg、像の脳は約4-5kgである。
基本的に、体が大きいほど脳の重さが大きくなり、脳が大きいと脳神経も体積的に大きく、脳の活動量も多いと考えるのが自然の流れな気がするが、
人間と像を比べらばわかる通り、脳が大きければ認知能力が高いわけではない。
 
人間は、体重あたりの脳の割合が大きいから、脳の利用効率がいいのだろうか。
認知機能を体重で割ることが合理的かを考えると、それはあまり理に合わない気がする。
体が大きい成人と体が小さい成人を比べると、筋力はかなり違うが、認知能力に差があるとは思えないだろう。
 
では、何が人間の脳は他の動物と違って、ここまでの文明を築くに至ったのだろうか。
なぜ、1.5kg程度の脳の持ち主・人間が、
どのようにして他の生き物を凌駕する認知機能を有することができるのか。

 

今回は、脳の進化のお話をしようと思う。
 
 

人間の脳はそんなに特別なのか。

 
先ほども言った通り、人間の脳は重量・サイズを見れば特別発達しているわけではない。
人間の脳は約1.2-1.5kg、像の脳は約4-5kgである。
 
 

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これは、全身の神経細胞の数である。
人間は86 billionの神経が全身を支配している。
これは、ゴリラやチンパンジーに比べても2.5~4倍も多い数で、マウスと比べようものなら、桁を数えるのが面倒くさそうな数である。
 
しかし、象は251 billion。0を横に並べるて表示すると、256,000,000,000の神経細胞は像は有しているのである。
 
神経の数とは、紛れもなく情報交換量の多さである。
道路があっちこっちに走る都会道と、数本の道路がただ永遠に続く田舎道、どちらが交通量が多いのかを比べるのと同じ発想である。
 
道路はそこに必要だから存在する。神経も必要だからそこに存在する。
つまり、象の方が人間よりより多い量の情報交換をしているのだろう。
 
 
しかし、経験則からして象に思考量に関して負けた気がしない。
人間の方が象よりも認知能力が低いなんてのはまだ信じられない。
 
僕ら人間は、象の目の前で簡単な手品を披露して、リンゴを隠すことぐらい簡単なのである。
リングを背中のシャツの中に隠して、空の手を象に見せつければ、
彼らは、我らの巧妙な手口を視覚情報から解き明かすことができないだろう。
 
そう、視覚情報だけなら。
 
彼らにはながーい鼻がある。
彼らの鼻は長いだけではないらしく、犬よりも優れた嗅覚を持つらしい。
つまり、僕らがリンゴを"視覚的に”隠しても、嗅覚で彼らはリンゴを見つけることができる。
 
これも立派な認知機能の一つである。
 

  

 

全身で負けても、脳神経の数なら勝てるんじゃない?

 

しかし、いくら象の鼻がシャワー機能付きの超高性能探知機だったとしても、
認知機能の総合力で負けた気はしない。
 
それを証明するデータが下の表、大脳皮質の神経の数を比較した表である。

 

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認知機能を司る大脳皮質だけの神経細胞の数では、象の神経細胞数は人間の1/3でしかない。
やはり、認知能力の総合力では人間の方が高そうである。
 
251 billionの神経細胞の中に、他にどんな能力を隠し持っているのかは詳しくは知らないが、
大脳皮質以外の部分にある神経は、不随意神経である。
呼吸、心拍、内臓の調整などの生命を維持や、巨体を支える姿勢の維持に多くの神経細胞を必要としているのではないかと思われる。
 
 
 

象の脳の形状的特徴から見る

 

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実際に象の脳を見てみると、
人間に比べると、聴覚を司る側頭葉がやはり垂れ下がるように肥大している。
一方で、認知能力の統合を行う司令部・前頭葉と視覚情報の後頭葉がやや小さい気がする。
加えて、姿勢の維持などの不随意の運動能力を司る小脳が異常に大きい。
 
やはり、約5000kgにもなる体重を支えるのは、4本足であってもそう簡単ではないようである。
脳幹部分に関してはこの写真では見えないが、あの巨体を維持する代謝にもかなりを神経を注がないといけないのではないだろうか。(これはただの予想である。)
 
ということはやはり、認知能力においては人間が最強なのか。
残念ながら、ここにもまだ刺客がいる。
 
 
 

人間より認知機能が高い動物がいる?!

 

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それがヒレナガゴンドウ。つまり、ゴンドウクジラの仲間である。
これが、37,2 billionもの神経細胞を大脳皮質に有している。
 
これはWikipediaの情報だが、ちゃんと以下の論文の引用がつけられているので、ある程度信用していいだろう。
人間の大脳皮質の神経細胞数が前の表と違うのは引用文献がさっきの表とは違うからである。
“Quantitative relationships in delphinid neocortex.”. Front Neuroanat 8: 132. (2014). doi:10.3389/fnana.2014.00132. PMC: 4244864. PMID 25505387
 
もし、大脳皮質の神経細胞の数=認知機能の高さとするなら、
このクジラの方が人間より認知機能が高いことになる。
そして、大脳皮質以外に認知機能と呼べる活動を支配する部分が私たちの体にあるのだろうか。
自分には思い当たらない。
 
つまり、負けを認めざる得ない。と個人的には考える。
 
 
 

認知機能が高いと理性を超える。いい意味でも悪い意味でも。

ちなみに、ゴンドウクジラの仲間は社会性が高く、また集団座礁が多いことで有名らしい。
集団座礁は生きた状態でクジラ(またはイルカ)が集団で浜辺に乗り上げることである。
原因は不明だが、おそらく集団自殺ではないかと考えられているらしい。
 
生き物はどんな種も生き延びるよう努力するようにプログラミングされている。
そうでなければ、進化の早い段階でその種は滅びているからである。
なんとか、生き延びて子孫を残した種が現在まで続く進化の系列に名を残せる。
自然界とはそういう憲法の基にみな平等である。
 
と考えると、生と性への本能は、自分が幸せになるかならないかなんてことは関係ないと自分は考えている。
なぜなら、どんなに不幸な種でも、生と性への本能があれば生き延び、子孫を残せてしまうからである。
 
人間は「人生辛いことの方が多い。」とはよく言うが、それでも順調に生き延び、子孫を残せてしまう丁度いい例だろう。
だから、どれほど死にたいぐらい辛くても、生き延びるように本来はプログラミングされている。
 
 
ちょっと話が逸れたが、
この生物の原点である生と性の欲望を理性で抑え込め、超えられるのは、相当の思考能力がある証拠だと考えられる。
これも、人間も同じくである。
 
また超音波を使って、仲間とコミュニケーションを取れるともよく聞く話である。
これも、人間と同じである。
 
つまり、ゴンドウクジラの認知能力を否定する根拠はあまりない。
むしろ、認知的情報量の多さなら負けているのかもしれない。
負けていないと言える事実はないのだろう。
 
 

イルカの脳も形態的に見てみよう。

 

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ここで、イルカの脳を見てみると、
やはり、聴覚を司る側頭葉が発達している。
象の側頭葉が垂れ下がるように発達しているのに対して、イルカの側頭葉は頭頂葉との境い目辺り、あと側頭葉りの前頭葉部分が発達しているように見える。
 
頭頂葉に近い部分の側頭葉は、ウェルニッケ野という言語を理解する部分が存在する。
前頭葉の側頭葉より部分には、ブローカ野という言語を発する部分が存在する。
これが人間とイルカ、同じ部分に存在するのかはわからないが、小脳・脳幹・大脳というマクロな構造が同じである以上、ミクロな構造も同じであると仮定するのが筋だ。
 
となれば、イルカがうまくコミュニケーションが取れるのは、やはりウェルニッケ野とブローカ野が発達していると関係していると考えるのが順当。
 
言語能力に関しては人間と変わらないくらい使えてもおかしくない。
将来には、日本語-イルカ語の通訳なんて話も出てくるのだろうか。
メダカ〜の学校は〜。なんて歌がそういえばあったが、
イルカ〜の学校は〜、海の中〜。みんだで狩の練習をしてるよ〜。
なんてのは本当にあり得るのかもしれない。
 
 

霊長類の脳の形はどうだろうか。

 
一方で、霊長類、特に人間の特徴は何なのだろう。
もう一度、この写真を見てみましょう。
 

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個人的に一番に思ったのが、
霊長類の人間とゴリラの脳は綺麗な丸みを帯びていて、外部からの衝撃を綺麗に分散できそうだな。
なんてことだったんですが、それは認知機能とはあまり関係ないので置いておく。
 
おそらく特徴としては、頭頂葉の膨らみ前頭葉のリーゼント具合だろうと思う。
 
頭頂葉は体性感覚。つまり、体の感覚をより的確にキャッチするために必要な部位である。
ゴリラの方が人間よりこの部位が発達しているのは、ゴリラの木登りのウマさを見れば納得できるだろう。
こういう体性感覚を頼りに、動きを適応させていくからなのか、ゴリラでさえ小脳は小さいのだろう。
 
小脳は、歩行や直立など元々プログラミングされた動きを行わせるのが主な役割である。
投球ミスはあっても、歩行ミスはないのは小脳のおかげである。
だから、霊長類はミスをすると言われるんだろう。
 
一方、人間の特徴はやはり前頭葉のリーゼント具合である。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの情報を統合させて、噛み砕くことができるのが前頭葉。
そういう情報処理能力が人間の特徴なのであろうと考察できる。
 
 

まとめ:

 
まとめると、
人間は決して”認知能力”で考えた時に、生物最強と言えるかと言われると、
どうなんだろうか。と個人的には思っている。
 
残念ながら自分は脳科学者ではないので、ただの一個人の仮説だけど、
人間より総合的に見ても認知能力が高い動物は実際にいると思う。
 
犬や象は人間より優れた嗅覚を持っている。
イルカやクジラ、コウモリは人間より優れた聴覚を持っている。
人間は割と視覚には優れた動物だと思っているが、それでも鳥類の視覚は人間よりかなり高性能である。
 
他にも人間には認知できない、温度を赤外線によって視覚的に認知できる種や、超音波などを認知できる種は多くいる。
(人間も、熱受容器があるので熱線的なものは認知できるが。視覚では見れない。)
 
野性動物は、噴火や自信を事前に認知できると言う話を聞いたことがあるが、
これももしかしたらそういう所から来ているのかもしれない。
もしかしたら、「ここ、Wi-Fi飛んでるな。」と感知できる種もいるのかもしれない。
 
しかし、情報統合能力・思考能力なら負けていないんだろうと思う。
やはり、前頭葉は人間の誇りだ。これだけはおそらくどの種にも負けないのだろうと思う。
 
おそらく、人間はこの厳しい生物界を、
持ち前の情報統合能力と思考能力で生き延びてきたのだろう。
自分は、この説をここまで話してきたことから推している。
 
だったら、やはり人間たるもの情報を集めて、思考する。
これをやり続ける生き物なのだと思う。
 
どう考えても、人間はゴリラにも象にも素手の対マンでは勝てない。
それぐらい、前頭葉は戦闘時に何の役にも立たない部位である。
しかし、事前に道具を準備することで肉体的な不利を補ってきたわけである。
 
もう一つ、自分が人間がとても巧妙だなと思うのが、
人間にしか住めない土地を作り上げたことである。
 
街には野性動物は住めない。自然の恵みが全くないからである。
だから、人間は野性動物にほとんど襲われないのである。
これは、自然界を生き残る上ではかなり重要だったと思う。
 
ナマケモノやパンダがあんなにもへぼくても生き残れるのはライバルがいないからである。
彼らは、他の動物と食べ物で争わないことで縄張り争いから手を引いたのである。
 
人間の都市を縄張りとして欲しがる野性動物はいない。
まー実は人間は、食料を家の中にたんまり隠し込んでいるから、それを知りさえすれば野性動物としても狙い甲斐のあるのだろうけど、
人間の家を襲って冷気を放つの縦長の箱を開ければ食料が取れると学習した動物が現れない限りは、都市に動物が襲ってくる可能性はない。
 
野性動物としても不思議でならないだろう。
なんで、人間は木の実のひとつもならない土地で生きていけるのだろか。
なんなら、木を切り落としてまで、何の実りもない土地を作るのか。
と。
 
人間はこういう形でライバルのいない縄張りを作ることに成功しているのだと思う。
 
しかし、こうやって賢くなってしまったデメリットはないのだろうか。
不可侵の縄張りを作り安全を保ち、食料を自給自足できる知能を持って食糧難に襲われることもなく、病気も怪我もかなりの確率で治せてしまう。
野性動物たちに比べて、かなりイージーモードすぎる。
 
そんなことを次回は考えようかな。
 
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